緋衣汝香優理★水迷宮

人形作家、緋衣汝香優理のお仕事と日常


展示台完成

  1. 2015/03/28(土) 22:08:50..
  2. 木工
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一昨年10月頃から約一年半をかけた展示台が漸く完成した。
ただの台は邪魔なので、物入れの機能を持たせ、且つ、マントルピース風。
展示スペースを大きく取るための台は上乗せ。
引き出し部分は展示台ではなく、通常使うのに収納プラス、と云う事で製作。
物入れとしての機能から設定した高さなので、此れを乗せると展示台としては高過ぎる。
上に設置した薄めの台が拡張用の台である。
下の展示台2台が各々上面495×495mmで、拡張用の台を乗せた時の上面は1442x495mmになる。

DSCN4597s.jpg

こちらの方は上面395x395mmで、4台ある。
当面使う予定はないが、「トリックオブジェの世界」展で、小さい方の台は2台お目見えした。

最初、展示台に困っている人に、レンタルしたら?と勧められたが、家具としてそれなりに場所が決まり、物が収納されると其れも面倒になって来た。
まあ、もしもご希望があるならば考えます。

ティッシュボックス

この大仕事に取りかかる前、木工が楽しくなって来た頃、自宅用に造った木製ティッシュケース。
アンティークのキャビネットとかにもしっくり来るティッシュケースが欲しかったので拵えた。
何せティッシュは必需品なので。
枕元用の小さいのも。
此れを画像で見た方から頼まれて拵えたのが「ココア・ハウス」さんに出品中。
胸像の台や、三面聖画仕様函等のシナベニヤの端切れで拵えた小物入れなぞも出品中。
あ、シナモンフィギュアもだ。
今は亡き姫から貰った私一人の工房名はみるきぃ工房。
工房代表は今もみるく姫。



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愛猫みるく姫が亡くなりました

  1. 2015/03/18(水) 19:17:02..
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09100006-2s.jpg

辛い事は続くものだ。
3月13日、16時過ぎ、愛しい長女猫、みるく姫が亡くなった。
悪性腫瘍だったようである。

その兆候がいつからだったかははっきりしない。
入院前には特段な兆候を見つける事は無かった。
ゴハン時、扉の外で私を待っているのも、恒例の食事前の抱っこと立ち上がりご挨拶もしていたと思う。

02160004s.jpg

ツンデレ、と云うのか、あまり甘えたりしないし、恒例の食前抱っこ以外では抱っこも好きじゃなかった。
だのに、寂しがりで、人のいる場所にいるし、誰もいなくなると、人のいる場所にやって来る。
ツンデレ、と云うよりはツンツンデレ位の割で、極珠に甘えてみたりする。
我が儘でマイペース、まさに姫だった。
泥棒姫でもあって、食卓に肉や魚が乗る時、眼を離すと持って行かれる。
ビニールが大好きでカサカサいわせながら、舐めたり噛んだり。
誤嚥で喉を詰まらせたらどうしようと心配したものだ。
ゴハンは愛情とともに食べるものとなっていたみたいで、其の様子は昔読んだ、星新一の作品を思い起こさせた。
カリカリは積極的に食べたがらないが、良い子ねえ、可愛いねえと声をかけると、嬉しそうにそっぽを向いていたカリカリも食べる。
夕ご飯の缶詰もニコニコで抱っこと立ち上がりご挨拶をしてモリモリ食べる。
たまに鶏肉の端切れが出て、みるくを呼ぶと、何処にいても馳せ参じる。
食べたがり、がっつく割に痩せっぽちで、お腹に虫でもいるんじゃないかしらと心配した事もあった。

03170001-2s.jpg

退院した日にシナとみるくが玄関に迎えに出てくれたのは覚えている。
退院して暫くは寝たり起きたりの生活だったし、少しずつ元の生活に近づけて行ったが、正直、猫たちにそれほど気が回っていなかった。
退院して初めての外来を翌日に控えた3月3日、久しぶりに抱き上げたみるくのあまりの痩せように愕然として、すぐに動物病院に連れて行った。

口を開けさせて見ると、上顎前歯裏に赤くなった箇所があった。
口内炎で痛くて食べられず、激痩せしてしまったのかと思ったが、お医者様によれば、通常口内炎が出る場所ではない、との事。
検査をしなければはっきりしないが、悪性腫瘍の可能性が高いと云われた。
青天の霹靂とは此の事か?
此の日は、口内炎、もしくは腫瘍と見られる部分を、金属の篦状のもので引っ掻いて検体を採取、皮下点滴を行った。
引っ掻いて採った部分を顕微鏡で見て下さった先生が、確定出来ないが、其の細胞の形状はやはり、腫瘍の可能性が大きいとおっしゃった。
腫瘍かどうかはっきりさせるには麻酔をかけて患部を丸いパンチのようなもので大きく検体を採取しなければならないが、随分痩せているので、麻酔に耐える体力があるとは思われない、との事であった。
また、腫瘍である、と確定したところで、手術、となれば、上顎を大きく失う事になる、そうすると、鼻の短い猫にとって嗅覚に障害が出る。
嗅覚が鈍ると食欲を失う可能性が高いとの事であった。
また、そうまでして腫瘍除去手術をしても転移が無いとは限らない。
転移があるかどうか検査するにはレントゲンを撮らねばならないが、此れも又、体力的に難しい。
検査をするかどうかの決断は私に委ねられたが、とりあえず、口内炎と云う可能性を信じて、抗生物質と、鎮痛剤、流動食の缶詰を処方して貰って、其の日は帰った。

其の夜、患部を引っ掻いた部分が流血した。
涎も混じってであろうが、其れは大量で、大いに狼狽した。

翌日、脳下の外来から帰って、また動物病院へ。
抗生物質と鎮痛剤等を5日分処方して頂き、様子を見る事にした。
猫は風邪で嗅覚が鈍ると食欲を失って、ケアしなければ衰弱死する事もあるらしい。
手術をして、転移が無かったとしても、食欲を失っては先が望める様には思われない。
転移があれば手術自体が無駄、只、苦しい思いをするだけだ。
私は検査して下さいとは云えなかった。

5日後、また病院へ行ったが、薬の効果は全くなく、此の時も検査と手術、レントゲン等の同じ話をきかされただけで、なす術無く、薬の処方もなく、連れ帰った。

常日頃、自らの死について思う事だが、生まれればいずれ死ぬのが宿命、如何に生き、如何に死ぬかが問題であり、死を恐れるのも排除するのも愚かである。
自分自身の事として考えた時、延命治療はまっぴらである。
此の世に生を受けたものとしていずれは死ぬのだとしたら、苦しい検査や手術をし、辛い思いを長引かせるのは可哀想なのではないか。
既に背骨も骨盤も直に触れる程に痩せ衰えているみるくを、出来るだけ辛い思いをさせない様に看送るしかないのではないか。

そして、毎日、みるくと共に過ごした10日後、13日、みるくは亡くなった。
毎日、針の無い注射器のようなもので、流動食を食べさせ、水を飲ませ、1日の殆どを布団の上で只眠り続けるみるくを撫でて、話しかけて過ごした。
驚くのは痩せ細った身体で、立ち上がるのもふらつき侭ならぬのに、トイレの前でおしっこをしていた事だ。流石に中に入るのは難しかったのだろう。
トイレの前の水溜りを何度か拭いたが、布団でおしっこをする事は無かった。
痩せ細って、布団の上にいる事が殆どだったが、ストーブを点けるとストーブ前に陣取った。
痩せ過ぎていて寒かったのかもしれない。

亡くなる日、朝、出かけようとした息子に、みるくは聞いた事の無いような可愛い声で呼びかけ、息子は出かけるギリギリまで水や流動食をやり、撫でてやったそうだ。
まるで呼び止めるみたいに、と彼は云ったが、多分本当に呼び止めたのだろう。
まさか、今日、とは思っていなかった私は様子を見つつ、あれこれ雑事をこなしていたが、みるくが布団からずり落ちる様に畳に横たわっているのを見て、何か訴えているのだと思った私は、「おしっこしたいの?」とトイレに連れて行った。
よろめく足で、トイレの柵を乗り越えるのさえ大変そうなのに、トイレに入って匂いを嗅ぎ、踞った。
少しの間踞っていたが、よろめきながらトイレを出て、トイレのそばに力つきた様に横たわった。
床は冷たいでしょう?と抱いて部屋に戻り、布団にのせず、ストーブを点けて、膝に乗せた。
膝に乗る子ではなかったが、膝に頭を凭せる様に横たわったので乗せてみたのだ。

膝の上でみるくは、もう、身体に力が入っていなくてぐったりしていた。
流動食と涎の付いた口を拭いてやると、小さく2度声を上げた。
ぐったりしていた。
気づくと胸の上下動が無くなっていた。
まさか、と胸に耳を当てた。
鼓動が聞こえない。
いつ、息を引き取ったのかはわからなかった。
ぐったりしているとはいえ、顔は愛らしくも穏やかで、呼吸は止まっているのに生きている様にしか見えない。
布団に横たえ、様子を見た。
よろめきつつでも起き上がってくるのではないかと思われる様子で、俄には信じられなかった。
撫でながら話しかけても、ぴくりとも動かない其の姿を見て、やはり逝ってしまったのだとじんわりとゆっくりと其の事実を受け入れた。

最期の小さな声は別れを告げたのだったろうか。
猫が癌で苦しむ死に際を描写したものを読んだ事があったので、穏やかに過ごさせたい、看取りたいと願っても、やはり苦しむ様を見るのだろうなとうっすら覚悟していたが、みるくはのたうち回る事も苦しそうに叫ぶ事も無く、逝った。

お世話になった動物病院に良心的なペットの葬儀をしてくれるところを聞き、連絡した。
眠っている様にしか見えないみるくを段ボールに入れるのが嫌で、葬儀社で扱っているペット用の紙製棺を譲って貰い、クッションを敷いて、横たえた。
身体は力なく柔らかくぐんにゃりしていたが、眠っているような様子に顔の角度を整え、端に缶詰を入れ、帰りに買って来た花で周りを埋めた。
葬儀社に行く時も、花を買う時も涙が止まらず、其の夜は、眠っている様にしか見えないみるくを撫でて過ごした。
いつ目をやっても、今にも起きて来そうな愛らしい姿で、もう、痛い思いも苦しい思いもしなくなったのだから、天国で楽しく過ごしてね、と話しかけつつも、別れの悲しさで涙を流し続けた。
思い出を辿り、泣いたり笑ったりしながら其の夜を過ごした。

翌日、案の定腫れた眼で、やっと帰って来た息子とともに葬儀社に赴いた。
天国で、一杯食べて貰おうと、行きに、鶏のささみ肉を買い、祭壇に乗せて、短い葬儀の儀式を済ませた後、お別れの挨拶を、と云われて、腕にささみ肉を3本抱えさせた。
頭を撫ぜ、額に口づけして、係の人に促されて蓋を閉め、火葬の儀となった。

火葬が終わって、綺麗に並べられた骨を息子と2人で骨壺に納めた。
お骨になってもやっぱり可愛いね、と、頭骨を撫ぜた後、骨壺の蓋が閉められた。

死が必然と分かっているつもりでも、感情は別物で、やはり、時折涙が滲む。
別れはやはり辛いものである。
私もいずれは死ぬし、其の時にみるくにも17歳で逝った美也にも会えるだろうから、其の時が来るまで、精一杯生きて行かなければと思う。


2004年1月22日生まれ、2015年3月13日死去、享年11歳だった。



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緊急入院しました

  1. 2015/03/07(土) 15:04:22..
  2. 日常
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写真上は点滴のチューブ、黒いコードはイヤホンのコード

1月28日、スパンアート「毛皮を着たヴィーナス」展搬入の翌日の夜、急に激烈な頭痛に襲われ、膝から頽れた。状況を伝えようにも呂律が回らない。
すぐに救急車で病院に運ばれた。
脳内出血だったそうである。
救急車内やICUでの記憶は飛び飛びであるが、左膝を立てて、と云われて、えい、っと左膝を立てたのは覚えている。
なによ〜〜出来ない訳ないじゃんなんて思いつつ膝を上げたのだが、あらあ、大丈夫そうですねえと云う看護師さんの声が聞こえた。
後は点滴だらけになっていて、針を留めるテーピングにアレルギー反応を起こしたのか、身体中が痒くて全身搔き毟ったのと、寝たきりだから腰が痛くなった位しか覚えていない。

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一般病棟に移るまで栄養も点滴で摂っていたのだろう。
ICUでの記憶はあまり無く、後で作業療法士さんが「僕の事覚えている?」と聞いたが、全く覚えてなかった。一般病棟に移ったのがいつだかは判然としないが、移ってからは食事を摂る様になり、何日かは只管眠り続けた。
其の後、点滴をかけた台車を押しながらのリハビリが始まった。

IMG_0766.jpg

後に診断書を見ると左半身麻痺と、言語に障害が残るであろうとの診断だった。
歩行訓練、 NU-STEP や自転車漕ぎ、作業療法士さんと左手を使う訓練や難プレ等、言語療法士さんと口を動かす訓練、発声訓練を毎日行った。
其の内、点滴も尿道管も外され、眠る、リハビリをする毎日だった。
初見よりも回復が良く、一ヶ月は入院生活だろうと云われていたが、2月18日に退院となった。
リハビリの先生方に煙草をやめる様に何度も云われた。
言語療法士の先生と口を動かす訓練、発声の訓練をしていた時、「CTの画像を見たが、あなたの脳内の出血量はかなり多かった、此処まで回復したのはただ、運が良かったというだけなのだから、煙草は絶対に止めなさい」と厳しく云われた。
退院を前にして、内科の先生が食事指導をして下さった。
血液検査の結果であなたの体型で此の数値は大酒飲みかなんとかか?と聞かれた際に、速攻で休肝日なしの大酒飲みで〜すと自己申告。
休肝日を必ず取る事と、酒量を控える様に指導された。

退院後は NU-STEP は家に無いので、スクワットを続けている。
後は口を動かす訓練。
左手は筋力は落ちているようだが、問題なく動く。
左半身全体、動かす事には問題ないが、感覚麻痺は残っていて、左足に痺れがある。
左耳後ろから顳顬にかけて軽い痺れがあるが、此れは大分良くなった。
後、不思議なのは、左半身に限って、であるが、熱い、が即痛い!になっている事だ。
口の方もで、熱い食べ物が前よりも苦手になった様だ。


個人的な事で酷いストレスを抱えていて、急激に血圧が上がってプッチンした様なのだが、退院したところでストレスの種がなくなっている訳ではなく、退院2日くらい前は、此の難プレ滅茶苦茶回答したら退院しなくても良いって云ってくれる?なんて作業療法士さんに無茶を云ってみたり。
まあ、恙無く退院して来た次第である。

動く事もリハビリと思って、疲れたと思ったら休む様にしつつ、日常の雑事をこなし、放ったらかしにしていた展示台の仕上げを少しずつ進めている。
正直、此れが終わらないと散らかり放題、雑然としているので。
少しずつ、頑張る。

2月は教室も休講したけれども、3月は教室も開講予定ですので、皆様どうぞ宜しくお願い致します。



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